Twitterで回ってきたDJ社長はポジティブバカだと思った
こんばんは。
かおまるです。
実はこの4月から転職したので毎日勉強でブログを毎日更新する予定が
金曜日は寝落ちしてしまい、早くも途絶えてしまいました 笑
でも私の性格上完璧を求めると一気にやる気を無くしがちなので
気長にやっていくことにします
続けることが大事!笑
今日は最近Twitterで回っていた動画についてブログかきます。
その動画はレペゼン地球のDJ社長さんの動画です。
タイトルは悪口ではありません。笑
ポジティブすぎるくらいポジティブだけど、実は自分をやる気にさせるすごく重要な
要素であり、DJ社長さんの才能でもあると思いました。
以下にリンク貼っときます↓
こんなにも早口で40分という長い動画を早送りせずに見たのは初めてかもしれません。
気づいたら40分経ってた。そんな感覚です。
見た目からは想像できない経験をされていました。
ネタバレになるので細かい内容はいいません。
ネタバレ防止というより、是非あなたに読んでもらいたいからです
私の感想ではなく、あなたが動画をみて何か感じてください。
私の感想は、“行動力と発想の転換がすごい”です。
正直私は 学歴<<行動力 と思っている人間ですが、まさに体現してる方だと思います。
この動画をみたら自分の今までの行動を是非振り返って欲しい。
今までの選択の仕方でよかったのか、これからどう選択していくべきか。
さて、ここで
東大卒年収800万のエリート会社員と高卒の年収3000万の社長
どちらが成功者だとおもいますか?
私は断然後者です。
高卒から社長になる人が絶対数的に少ないだけで、
高卒でも社長になった人はいます。私の知ってる人でも何人かいます。
でもやはり一般論として大卒と比べて勉強はできませんよね。(経済的理由は除く)
ではどうしたら高卒から社長に?と思いますよね。
例として社長を上げましたが、自分の好きなことを仕事にしている人や
夢を叶えた人って才能のある人だけではないと思います。
じゃあ何が要因?
それは“行動力”です
動画を見た人はもうお気づきですよね。
行動力が全てなんですよね。
勉強だって、教科書読んだだけで自分がどこまで力がついたかなんてわかる人は
ほんのひとにぎりで大体はテストでアウトプットして自分がどこまで理解できてるのかを測りますよね。
つまりインプットだけでは何も変わりません。考えるよりも実践なのです。
アウトプットこそが大事なのです、
かくいう私もまだまだ行動できてないことがありますが、
このブログを始めたのも私の目標のためのアウプットのひとつです。
私は転職をする一年前から転職をしたいと思っていて
実際転職をしました。今でも後悔はしていません。
むしろあのままあそこに居続けたら、、、、
自分を押し殺す生活を続けていたでしょうね。
あの時転職を決断した自分によく決めたね、と褒めたい 笑
まあ今の仕事はスタートしたばかりなので転職が成功かなんてのはなんともいえませんが。
とりあえず一生今の仕事やるつもりはない(^^)社長ごめんね 笑
私も好きなことして生きていきたいから。
何か少しでもやりたいことがあるならなんでも行動してみよう!!
一緒に少しずつがんばろう^^
ではまた次のブログで。
高専って何?
こんばんは。
かおまるです
今日は苦しかった高専時代についてお話ししようと思います!
タイトルは特に意味ないです。卍とか日常で使ったことありません。笑
まず、高専ってなに??
この記事読んでる貴方そう思いませんでした?笑
昨日の記事で高専にリンク付けしたのですが、
ザッと説明すると工学系の専門学校って感じです。
一般的な高校1年から大学2年までの5年間一貫です。短大卒業と同じ扱いです。
私の専門はプログラミグが主でしたが
製図、電気回路、力学など幅広く勉強して特に実習が多かったです(この実習がスーパー嫌だった)
まず、しんどさを感じたのは高専3年くらいのプログラミグが本格化してきてから。
プログラミグか大の苦手で大っ嫌いで今も大っ嫌いです 笑
しかし出席番号が私の後ろの男の子がプログラミグ得意でめっちゃ助けられました。
課題出されるたびに泣きそうで、ない頭を使ってもわからなくて、
周りに助けてもらった記憶があります 笑
そして4,5年になって恐ろしく難しくなり単位諦めてました笑
教科の担当の先生も変わって、韓国から来た先生で、できなさすぎて結構高圧的に怒られた記憶もあります笑
それでもまぁなんとか単位もらえました。頑張りました。ネットと友達の力です。ドヤッ
あと苦しかったのは実習&レポート
実習にレポートはつきものですよね。
実習は4週ごとにやる内容が変わります。
それにもプログラミグがあってほんとプログラミグくたばれって思ってました。笑
文系の私は周りよりも理解が遅くて要領もくて人より遅かったのです。
でもその分、みんなに早く追いつきたくて、
放課後先生のところに行ってわからないところ聞いたり、1人で実習したり、
家でプログラム組んだり。それはもうがんばりました。
その辺に関しては人より頑張ったと思ってます。
が、当時はみんなに追いつきたくやったことなので結果的に努力してたって感じですかね。
一番進捗具合が遅かった実習も最後の週には私が一番進んでで、出来も良くて私が組んだプログラムを形にしてくれました。
今でも一番の思い出です。
ここまで読んだあなた、あれれ~?高専意外と楽勝~?とかおもいました?
言っときますがそこらへんの大学生より勉強したし、実習したし、結構しんどいですよ。
私は文系で苦手意識あったっていうのもありますが。
でも普通の高校みたいに学祭はみんなで準備とか看板作り^^
とかしたかったの一切なかったです。クソかよっておもいました。
修学旅行もなくて工場見学でした。クソかよっておもいました。
あとよく言われるのが彼氏すぐできそう!!これかなり多いですが、
考えてくだい。5年間クラス一緒で恋心芽生えないし、
半分以上がチェックシャツとメガネのクラスです。disってません。
みんなの趣味がたまたまかぶっただけです
あと私は部活もしてたのですが、もともと女子が少ない学校なので
女子だけで成り立ってる部活は私の部活だけで先輩後輩合わせて毎年6人前後でした。
これがまた厄介で後輩が全然言うこときかなくて頭抱えました。笑
手に負えなくなって東北大会前に辞めようかなって本気で思ってました。
東北大会優勝して、全国行ったけど正直思い入れがないです。
おっと愚痴になってた。。。とりあえず後輩が苦手だったっていう話。
5年生になってから卒業研究があったのですが、これもまた一苦労で。
結果的に独学で制御の仕方を学びました。(だいぶはしょった
とにもかくにもめちゃくちゃ泣きました。
勉強できないことが悔しくて家で泣いたこともあります。
迷惑かける自分が嫌で泣いたこともあります。
辛かった高専生活ですが、唯一手に入れたもの。
”努力すること”
もしかして文系になってたら、、、要領よかったら、、、、
苦手分野なかったら、、、
きっと私は努力するということに向き合っていなかったかもしれない。
周りの手を借りたこともあったけど、最終的にやるのは自分、
追いつこう精神で頑張った結果、頑張りが認められたあの日。
出来ない自分を超えることができたとき、喜びはひとしおです。ふたしおくらいかも。笑
勉強むり~~って言ってるそこの君。
とりあえず、がむしゃらにやってみ^^
かおまるってどんな人?
こんばんは。
かおまるです。
初めてブログをかきます。
っということで!私の自己紹介から。
かおまるって??
- 出身地:山形県
- 所在地:滋賀を経て去年の8月から京都へ
- 年齢 :23歳
- 特技 :バレーボール、書道
- 趣味 :料理、ネットサーフィン
- 仕事 :営業
- 夢 :世界の絶景を見に行くこと
とまあ、どこにでもいる超ふっっっつーーーーーーーーーの人間です 笑
なぜ関西に?
まあこれはよく聞かれる質問のひとつですね。笑
特にこれといった理由はないです。
親元離れたいな~~~~~~!!!!
これに尽きます。笑
話はさかのぼりますが、私は3人兄妹の末っ子です。上に兄が二人います。
兄二人、従兄弟、揃いも揃って中学から高専に進学しました。
ほんともの好きだなぁ~。なんて思っていた自分もしれっと高専に進学。笑
親の勧めということと、地元に自分のレベルに合った部活と勉強の両立ができそうなのがここしかなったという消去法です。
もともと文系だった私は理工系に進むのは気が引けましたが、将来的に
理系の方が就職に強いし、嫌でも理数系になれるかな。という反骨精神で飛び込みました。
高専生活のことはまた今度にしますね。長くなるので 笑
とまぁこんな感じで高専は地元じゃそこそこ頭が良くて理系で就職率100%で
大学に編入もできるってことで親も激押しですよね。
しかしもともと文系の私に理工系は結構きつくて何度も挫折しかけました。
文転しようかな、なんて思ってどっかの塾の模試を受けに行ったこともあります。
ただ、成績はそこまで悪くなくて常に40人中上位15人の中には入ってました。
でもここで勘違いしてほしくないのは、
もともと頭いいんでしょ。って思いましたよね??笑
それは違います。私も結構な努力はしました。
先生のところに聞きに行きまくりましたよ。笑
しかし、進路を決めるにあたり、親と揉めるわけです。ハイ。
母は絶対大学行きなさい!!!!!!という体裁気にする典型的な学歴重視人間。
父は私の好きなようにすればいいという感じ。
私は、興味のない工学系の勉強を大学にいってまでしたくなかったし、
その学費も親が出すと思ったら、学歴のためにお金を出すって
すごく無意味だな、と思ったわけです。母は、私の成績しか見ていないので、
どんな思いで勉強していたか、どんな思いで工学と向き合ってきたかという
苦しみをしらないので私の意志はガン無視でしたね 笑
思い返すと、私は親に敷かれたレールを歩いてきてたんです。
この習い事をしなさいと言われたら、その習い事をしてきたし、
成績もいいほうだったし、クラス委員もしてきたし、学年生徒会長もやりました。
友達にも恵まれて明るくて真面目な子でした。
でも、私は就職を選び、自立したいと思うようになりました。
両親は過保護なところもあったので、過保護に解放されたい。
失敗も含めて自分で色々経験してみたい。と思ったんです。
まあ本心は
お母うぜ~~~~~!!文句言う人いないところにいこ。どうせなら遠くいこ。すぐ来れない距離がいいな。
です。
なんとも親不孝な娘ですね。笑
偶然行きたかった企業が関西だったこともあり関西にきました。
なぜいま京都に?
高専をでてから某大手メーカーに就職しました。まじで超大手です。
大卒、院卒みんなが羨む超大手のグローバル企業です。2回言いました。
本社が大阪にあり、そこから配属が滋賀になって、やめる時に社宅をでないといけなかったので抹茶をすぐに食べに行けるという理由だけで京都に引っ越しました。笑
そして今に至るわけです。
関西弁がたまによく聞き取れません。
次回は苦しかった苦しかった高専生活についてお話しますね!
では(o・・o)/