自分を励ますブログ。

地元の高専を卒業し、大手グローバル企業に就職。2年半で退職して職を転々として現在底辺秘書やってます。まじめすぎる性格がゆえにここで自分を励ましています。

高専って何?

こんばんは。
かおまるです

今日は苦しかった高専時代についてお話ししようと思います!

タイトルは特に意味ないです。卍とか日常で使ったことありません。笑

 

 

 

まず、高専ってなに??

 

この記事読んでる貴方そう思いませんでした?笑
昨日の記事で高専にリンク付けしたのですが、
ザッと説明すると工学系の専門学校って感じです。
一般的な高校1年から大学2年までの5年間一貫です。短大卒業と同じ扱いです。

 

 

私の専門はプログラミグが主でしたが
製図、電気回路、力学など幅広く勉強して特に実習が多かったです(この実習がスーパー嫌だった)

まず、しんどさを感じたのは高専3年くらいのプログラミグが本格化してきてから。
プログラミグか大の苦手で大っ嫌いで今も大っ嫌いです 笑
しかし出席番号が私の後ろの男の子がプログラミグ得意でめっちゃ助けられました。
課題出されるたびに泣きそうで、ない頭を使ってもわからなくて、
周りに助けてもらった記憶があります 笑


そして4,5年になって恐ろしく難しくなり単位諦めてました笑
教科の担当の先生も変わって、韓国から来た先生で、できなさすぎて結構高圧的に怒られた記憶もあります笑

それでもまぁなんとか単位もらえました。頑張りました。ネットと友達の力です。ドヤッ

 

あと苦しかったのは実習&レポート
実習にレポートはつきものですよね。
実習は4週ごとにやる内容が変わります。
それにもプログラミグがあってほんとプログラミグくたばれって思ってました。笑
文系の私は周りよりも理解が遅くて要領もくて人より遅かったのです。
でもその分、みんなに早く追いつきたくて、
放課後先生のところに行ってわからないところ聞いたり、1人で実習したり、

家でプログラム組んだり。それはもうがんばりました。
その辺に関しては人より頑張ったと思ってます。
が、当時はみんなに追いつきたくやったことなので結果的に努力してたって感じですかね。

 

一番進捗具合が遅かった実習も最後の週には私が一番進んでで、出来も良くて私が組んだプログラムを形にしてくれました。
今でも一番の思い出です。

 

ここまで読んだあなた、あれれ~?高専意外と楽勝~?とかおもいました?

言っときますがそこらへんの大学生より勉強したし、実習したし、結構しんどいですよ。

私は文系で苦手意識あったっていうのもありますが。

でも普通の高校みたいに学祭はみんなで準備とか看板作り^^

とかしたかったの一切なかったです。クソかよっておもいました。

修学旅行もなくて工場見学でした。クソかよっておもいました。

 

あとよく言われるのが彼氏すぐできそう!!これかなり多いですが、

考えてくだい。5年間クラス一緒で恋心芽生えないし、

半分以上がチェックシャツとメガネのクラスです。disってません。

みんなの趣味がたまたまかぶっただけです

 

あと私は部活もしてたのですが、もともと女子が少ない学校なので

女子だけで成り立ってる部活は私の部活だけで先輩後輩合わせて毎年6人前後でした。

これがまた厄介で後輩が全然言うこときかなくて頭抱えました。笑

手に負えなくなって東北大会前に辞めようかなって本気で思ってました。

東北大会優勝して、全国行ったけど正直思い入れがないです。

おっと愚痴になってた。。。とりあえず後輩が苦手だったっていう話。

 

5年生になってから卒業研究があったのですが、これもまた一苦労で。

結果的に独学で制御の仕方を学びました。(だいぶはしょった

 

とにもかくにもめちゃくちゃ泣きました。

勉強できないことが悔しくて家で泣いたこともあります。

迷惑かける自分が嫌で泣いたこともあります。

 

辛かった高専生活ですが、唯一手に入れたもの。

”努力すること”

もしかして文系になってたら、、、要領よかったら、、、、

苦手分野なかったら、、、

きっと私は努力するということに向き合っていなかったかもしれない。

周りの手を借りたこともあったけど、最終的にやるのは自分、

追いつこう精神で頑張った結果、頑張りが認められたあの日。

出来ない自分を超えることができたとき、喜びはひとしおです。ふたしおくらいかも。笑

 

 

勉強むり~~って言ってるそこの君。

とりあえず、がむしゃらにやってみ^^